4年越しの九州リベンジ
2022年7月13日(水)。天気、雨。
久しぶりの更新。
前に書いたのは4年前だが、この4年で生活は大きく変化をした。
とあるウイルスの流行による生活の自粛だ。
そんな自粛も2020年2月ごろと比べれば意識が薄れてきており、マスクや消毒の徹底のなかで新しい生活様式が確立されてきたのだろう。
テレビでは先週まで行われていた参議院選挙のさなか、銃で撃たれ逝去された安倍晋三元首相の葬儀の話ばかりである。
さて、かなり時間が空いてしまったのだが、2018年秋に私は九州ツーリングのリベンジを行った。
今までと同じく動画を取っていたのでまとめてみたわけだが、PCのスペックがよくなったので今までの半分以下の時間で行うことができた。
期間は2018/11/7~11/14で、日々の細かい工程はこの記事にて長いがまとめてみる。
11月7日。天気、晴れ。
東京を早朝に出発し、3時ごろに山口県に到着。3大カルストの1つである秋吉台に立ち寄り、関門海峡を見下ろせる火の山公園で関門海峡の景色を堪能した。
夜は下関のビジネスホテルへ泊まり、街でフグ刺しをいただいた。
11月8日、天気、晴れ。
朝、関門海峡大橋を渡り九州へ上陸。
そのまま大分方面へ向かい青の洞門と呼ばれる手掘りのトンネルを通り、一目八景を通り阿蘇方面へ。阿蘇の大地を少しかすめながら向かったのは高千穂である。
高千穂は天照大御神と縁が深い街で、高千穂峡や天岩戸神社など神秘的な空気を感じられる場所であった。
高千穂町でスピリチュアルパワーを補給し、宮崎県の海岸沿いの景勝スポットへ立ち寄った。一日で九州をほぼ縦断したので「九州って小さい?」と感じてしまった。北海道を走ったライダーは基準が北海道になると言われているがあながち間違いではない。
夜は雨予報であったので鬼の洗濯板と呼ばれる景勝地のある青島のホテルへ泊まり、夕飯は青島へ向かう途中にあったファミレス、ジョイフルで食べた。
11月9日。天気、晴れ。
昨夜の雨で空気が澄んでおり、朝の日南フェニックスロードは最高の景色であった。宮崎にいることを感じつつ、都井岬へ向かった。
都井岬は野生の馬が生息する岬である。人に慣れているのか近くを通っても襲ってきたり挙動が変わったりはしなかったが、コーナーの先に馬が歩いていたりするのでこれから行かれる方はスピードの出しすぎには注意しましょう。
行くまでの道中がジャングルと言われていたが、なるほど、ジャングルだ。
この日の宿は指宿。砂蒸しを体験してみたかったためであるが、佐多岬から指宿まで海岸を回っていくととてつもなく時間がかかってしまうため、急遽予定を変更し根占港から指宿行きのフェリーが丁度出ていたためそれに乗船し指宿へ向かった。
宿到着後はさっそく砂蒸しへ。指宿へ行かれる予定のみなさまへ一言お伝えするなら、「砂蒸しはいいぞ」
かけられる砂による圧力と熱により体中の血行がよくなるのを感じることができるでしょう。
夜は指宿の町にあったうなぎ屋でうな重をいただいた。
11月10日。天気、晴れ。
この日は火山灰も少なくとても走りやすい道であったが、火山灰の多い日が続いた後だと2輪は危険である。景色をみながらのんびり走ることをお勧めする。
桜島を一周し、大隅半島にある垂水を経由しえびの高原へ向かった。
先ほどまでの海の様相とはうって変わり、山の空気に変化した。
高原で休んだ後、熊本県人吉にある人吉クラフトパーク石野公園キャンプ場へ向かう。
この日は雨予報でなかったので持ってきたキャンプ道具がやっと役に立った。
11月11日、天気、晴れ。
朝起きるとあたりは霧に包まれていた。
11月といえど早朝の山はすごく寒い。
本日の目的は唯一残っている本土西端である、長崎県神崎花公園へ向かうことだ。
人吉から長崎まではとても時間がかかるが、天草から島原へフェリーが出ているではありませんか。
夜露で濡れたテントをかじかみながら片付け、フェリーの時間に間に合うように天草へ向かった。
フェリーターミナルへ着いたのはぎりぎりであった。乗船待ちをしていると、BMWのアドベンチャーに乗ってきていたおじさんに声をかけられた。この方は2週間で九州を巡るらしい。他愛もない話をしているとフェリーの乗船時間に。出航して1時間ほどで島原へ到着。私は平成新山の近くをとおる島原まゆやまロードを走りたかったので、BMWの方とは港でお別れ。
まゆやまロードを走ると、天気の良さも相まって平成新山がまるでCGのように感じた。
それぐらいに周りの山と違い異質な感じであったのだ。
島原を後にし、佐世保を経由し神崎花公園へ。こうして本土の4端を制覇することができた。
さて、公園に着いた時点で16時頃であったので急いで寝るところを確保しなければならなかった。
熟考した結果、福岡県久留米市にある発心公園キャンプ場(現在は閉鎖)で一夜を明かすことにした。
テントを建て、近くで夕飯を食べようと思ったのだが、あたりにいいお店がなく今回2度目のジョイフルにお世話になった。ファミレスのありがたさを痛感した。
11月12日。天気、雨。
本日は一日雨予報である。
そのため、別府へ向かい温泉に入って一日まったりする予定だ。
昨日のうちになるべく大分に近づいていて正解であった。
雨具を装備し湯布院方面へ。湯布院の道の駅は観光バスでいっぱいであった。今度来たときは湯布院に泊まろう。そんなことを考えながら再び走り、別府の地獄めぐりへ到着。
温泉で体を温め、昨日のうちに予約していた別府駅前のビジネスホテルへ。
部屋で少し休んだら、電車を使い大分を散策することにした。
職場の同期が大分出身で、大分行ったら府内焼きと六盛の冷麺を食べてみてと言われていたので、おやつに府内焼き、夕飯に冷麺をいただいた。
どちらも美味しかったが、府内焼きが値段も安く美味しい。リピーターが多いのも納得の味である。
そして同期の言っていた「別府は目をつぶって歩くと温泉にぶつかる」という迷言が理解できるぐらいに温泉が多いことに驚いた。商店街の中に温泉があるのはなかなか珍しい光景ではないだろうか。
11月13日。天気、晴れ。
九州にいるのは本日が最終日である。
本日は別府→福岡の門司港に向かうだけであったが、天気が良かったのでもう一度阿蘇の方へ向かうことにした。有名なやまなみハイウェイを通り阿蘇ミルクロード。そして
入場料無料の阿蘇ミルクファームで動物と戯れ、門司港へ向かった。
門司港へ向かう途中で3大カルストの一つ「平尾台」へも立ち寄ることにした。
平尾台は初日に行った秋吉台よりも規模が小さく有名じゃないからか人が少なかった。しかし、より近くにカルスト地形を感じることができるので私個人としては秋吉台より平尾台のほうがおすすめである。
フェリーターミナルへ着くころにはすっかり日も暮れていた。
一週間近くいた地を離れるのは、やはり寂しいものを感じる。
しかしまだ終わりではない。まだ明日大阪~東京まで600Km弱あるのだ。
疲労が溜まっていたのかフェリー乗船後はすぐに寝てしまった。
ちなみに東京から九州へ行くルートは以下の3つ。
①自走(1100Km)
②大阪まで自走(600Km弱)+フェリー
③東京から九州までフェリー(徳島経由のため2日)
おすすめは②が時間、身体的にも一番楽だと思われるが、一度は自走で九州という方もいらっしゃると思うのでそういう方は私のように行きは①、帰りは②というのもいいと思います。
11月14日。天気、晴れ。
朝5時すぎに大阪南港へ到着。本日は東京に帰るだけであるが、大阪の高速道路と地理感がわからずにこの1週間で一番難しい道路であった。
そんなこんなで14時頃に東京に着いた…気がする。
帰るだけだったこの日の思い出は特に記憶に残っていない。