あの日々を思い返す。
10月9日(火)。天気、晴れ。
夏に撮った動画の編集をやっとすることができた。
私の夏休みは大きく分けて2つに分類される。
前半は九州目指して西日本豪雨の被災地に飛び込んでいき、広島に辿り着けず断念した日々。
後半は豪雨被害を免れた東北地方を福島を拠点にぐるぐるした日々だ。
西日本豪雨の影響で大阪までしか使えなかった高速道路。下道を駆使して九州目指すも、高速が使えないため大型トラック等も下道へ来る。そして国道2号はいくつもの箇所で冠水、崩落。
地元の方の手助けや、車は通れないがバイクは押してなら大丈夫という崩落現場をいくつも通り抜け、たどり着いたのは陸の孤島となった呉の町。
広島まで出られれば高速道路が使える。しかし、この約20Kmの道が完全に通れなくなってしまったのだ。
呉の住民がフェリーで広島に移動している。地元の人が海路を使っているということは陸路はダメということだ。
明日になれば状況は変わるだろうか。フェリーターミナルで一夜を明かそうか迷った。
正直この時点で私の心は折れていた。防水の靴も、雨具の下に着ていた服も全て濡れ、朝7時から約10時間走りっぱなしでも200kmも進めない。携帯の電波はずっと圏外。タンクに燃料も多く入っていないので迂闊に動き回るのは危険だ。
そして呉のガソリンスタンドには長蛇の列。このままでは燃料がなくなるのも時間の問題だろう。
ここまでくるまでに引き返すということを考えなかったわけではない。
大口叩いて「九州行ってくる!」と出発したため東京に引き返すのは逃げるみたいで恥ずかしいという気持ちがあったのと、何より悔しかったからだ。
フェリーターミナルで色々考えていたら東京の友達、職場の方、家族の姿が脳裏に浮かび、「よく頑張ったね。もう頑張らなくてもいいんだよ。」って言われた気がした。
涙が溢れた。
「そうか、もういいのか。」って
涙を拭ったあと、東京に引き返す決意をした。
もうすぐ日も暮れてくる。路面が信用できない被災地の夜は危険だ。
しかし朝まで待てば大型トラック等が動き出し、下道も動けなくなる。
自分の通ってきた道が崩落していたり冠水していたりで身の危険を感じた。ちょっと早かったら巻き込まれていたかもしれない。不安がないわけではないが、高速道路まで出られれば…って思いでいっぱいだった。
そうして山陽自動車道、福山東ICにたどり着いたのが21時頃、東京ICから高速を降りたのが8時。
こうして被災地から逃げ帰ってきた。
家に帰って呉の様子を調べてみると呉から引き返すときに通った道も通行止めになり、街にあるガソリンが底をついたらしい。
水がある、食料がある、電波がある、燃料が手に入る、安心して眠れる場所がある。
それはとてもありがたいことなのだ。
私はあの日々を思い出す度に、日常の中の何気ないことに感謝をするようにしている。
My Summer Vacation 2018
カメラ
MIDLAND XTC270(HDモード)
BGM
Defqwop - Awakening